2/19(金)のお昼前、愛犬のお嬢が虹の橋を渡りました。
享年11歳と7ヶ月。
死因は肺水腫でした。
心臓の(僧帽弁の)機能が低下していくと、血液の流れが悪くなり、溜まった血液成分が肺に流れていくというものです。尿として外に出ていくべき水分が肺に流れ、前兆としては呼吸の乱れや妙な咳がありました。
書斎で深夜仕事をしている時、いつもであれば私の椅子の後ろで高いびきをかいているはずのお嬢。しかしずっと寝床が定まらない様子で、ウロウロと私の周りを移動。要は、肺が圧迫されるのを嫌って、伏せ状態で寝るのも苦しかったというわけです。
明らかな違和感。早朝6:30くらいから東京中の救急動物病院に電話をしましたが、ほぼ「救急」という意味では機能しておらず。留守電に繋がるばかり。夜間の対応はあっても、早朝は殆どやっていないようです。唯一繋がった病院も、電話では「かかりつけの病院に診てもらったほうが良いので、それまでは安静を保つ努力をしましょう」とアドバイスをもらうのが精一杯。
一生懸命に声を掛けつつ、苦しくない態勢を取らせるしかありません。
が、途中で2回も視点が合わなくなり失神するほど苦しむお嬢。私も心臓マッサージで蘇生させながらどうにか命を繋いでいました。かかりつけの病院が開く9:30に合わせてタクシーで搬送し、担当医に「なんとかギリギリで間に合ったはずです」と言われましたが、あとは酸素が行き渡った後に立ち上がって尿が出たなら大丈夫…と安堵したところで容態急変。電気での心臓マッサージのみで生きながらえている状態となり、奮闘虚しく「これ以上は可愛そうなので諦めるしかない」という決断に至りました。
遺体を家に持ち帰り、だんだんと硬直していくお嬢と共に、思い出話をしながらお昼寝しました。たくさんの動画を観返しました。また会うことを約束しました。
そして今、この記事を書いています。
当たり前だった光景が、生活の中に在りません。いつもなら、何処へ行くにも私を追いかけまわしていたお嬢。デスクに向かって仕事をしていると、後ろで轟音のイビキを鳴らしていたお嬢。遊んで欲しくなると私の横に来て、チョイチョイと太ももを突っついてくるお嬢。とてつもない虚無感に襲われています。無論、私の奥さんも同様です。泣き疲れて眠っています。
キャバリアランドから帰ってきた後も、普通に元気だったのです。クリスマスも、大晦日も、正月も、節分だって、一緒に楽しく過ごしました。大好きなお豆を、たくさん食べていました。
前日の夜だって、3人で一緒に近所のスーパーへお買い物も行きました。だからこそ突然過ぎて、信じられないのです。これはその時の写真です。まだ元気な様子が、表情からもお分かりいただけると思います。
もっと、やれることはあったはずです。
ですが、言い出したり思い出したりしたらキリがありませんし、残された私たち夫婦の不和を生み出す可能性もありますので、後悔はしないことにしました。愛犬もきっと、夫婦仲が崩壊するような言葉を交わすことは望みませんから。間違いなくお嬢は、私たち夫婦の仲を取り持つ緩衝材としても、大きな役割を担っていたと思います。
お嬢は、本当に最後まで頑張りました。
これが、病院に搬送されて酸素吸引しているお嬢です。一時的に元気を取り戻しました。…が、結果的にこれが生存時の最後の写真になってしまいました。
お顔を見てください。この数分後に心臓が止まるなど、お医者様も含め、誰もが想像できなかったことです。お嬢は、私たち夫婦を心配させたくなかったのでしょうか。本当は苦しいのを精一杯我慢して、平然とした顔をつくっていたのでしょうか。
お嬢を家族に迎え入れてからの8年間は、ほぼ奥さんに任せっきりでした。仕事で泊まり込みも多かった私は週に2~3日しか帰ることがなく、それでもお嬢は「遊び相手のパパが帰ってきた!」と喜んでくれました。私が帰らない日は、ずーっと長い「待て」をされていた状態も同然。目一杯遊びたいのを、すごく我慢していたのでしょうね。
ですから仕事を辞め独立してからは、まるでその8年間を取り戻すかのように、朝から晩まで私にベッタリとくっついていました。奥さんが嫉妬するほどに。お嬢にとってママは居て当たり前の「空気同然」だけど、お嬢にとってパパは「レアキャラ」ですからね。
いつの間にか、お嬢の中で「ママには忠実に、パパには迷惑かけて良し」みたいなルールができていたかもしれません。それでも私は嬉しかった…。約3年半、お嬢はずっと傍に居てくれて、パパを喜ばせ続けました。
私にとっては初のペットロス。
生きているうちに何度もこの日の訪れを考え、予め覚悟し、少しでも悲しみを抑えようとしておりましたが、無意味なことでした。悲しみは想像の遥か上を行きます。体感、心感、500%です。
たくさんの花が届きました。2/21(日)に立会火葬を行ないましたが、オーダーメイドの服と、私たち夫婦を感じてもらえるような匂いの付いたモノ、そして大好物を添えました。たとえ葬儀社の人の常套句だとしても、炉に入る前のお嬢に「こんな安らかな笑顔はそうそう見ませんよ」と言ってくださったのはありがたいです。救いとなる言葉です。
当たり前だと思っていた毎日が、実はとてつもなく稀少な一瞬の積み重ねだったと気付かされます。帰宅しても出迎える姿はなく、廊下を歩けば絡みついてくる物体も無く、ベッドで眠れば枕の上にもうひとつ密着してくる質量はなく。毎日、喪失感のたびに涙を流しております。
時間はかかっても、私たち夫婦はこの事実から学び、受け止め、乗り越えていく必要があるはず。
そして私は生活ルーティンの中に生じる違和感や泣き所を今後もグッとこらえながら、FAN FUN FILE !!!(ファンファンファイル)をご愛顧下さる皆様へ、有意義な記事をお届けしてまいります。